勉強してるのに大学に行かないと思われてる(?)件。
浪人してから定期的に人と会うようになりました。
たぶんそれは大学に進学出来てても定期的に誰かと会うようになってたと思う。
それは単純に中学校から続いている友達がいないので、高校の友達は長く続いたらいいなーっていう願望から。
まぁその話はどうでも良いんだけど。
人と会うともちろん会話をするんだけど、結構な確率で聞かれることがある。
「勉強してるの?」
そりゃそうだ。浪人してるんだから「最近調子はどう?」って聞く感覚で問われるのは普通だと思う。
大学どんな感じ?仕事の調子は?って僕も聞くので、相手もそんな感じで会話をするのは特に何の疑問もないんだけど。
「大学行くの?」
大学に行くの?ってどういう意図で聞いてくるんだろう。
勉強してるの?までは分かるけれど、大学行くの?っていうのは良く分からない。
勉強してるのに大学にいかないっていう選択があると思うのかな。
いや、大学に行かないかもしれないけれど。どういう質問なんだろう。
勉強もせずに人と会うから「こいつ大学行かないんじゃ」って思うのかな。
良く分からない。
これから就職すると思われてるのかな。フリーター?ニート?
本人に聞いてみるのもアリだけど、それで喧嘩になるのもなぁ。
(もうなりかけたのは内緒)
文章だと棘があるように見えるので気をつけないとな、とは思うが。
なんだかなぁ。って思ってしまう。
お金の感覚の話。
急に文章ベースのものが書きたくなったので書いてみる。
特にこのテーマのものが書きたいってわけでも無いので、どんなテーマでも良いので読んでみたいものがあったら教えてくれたら嬉しい。
18禁のネタでもいいけど、まぁ。まぁまぁ。
そんじゃ本題へ。
お金の価値について。
表題。お金の話なんだけど、日本円がドルと比べて〜〜って話ではなくて。
年齢を重ねていくにつれて、お金の価値って変わってくるなーという話。
小さい頃って1000円でも大金だけど、大きくなったら1000円ってそこまで大きなお金じゃ無いと思うんです。
1000円が安いとかじゃなくて年を重ねていくにつれて触れていくお金が変わるから、お金の感覚って変わってくるよねっていう。
小さい頃は100円でも喜べたのに、今じゃ素直に喜べない。
登録者100人のYouTuberが再生回数1000回で喜ぶのに、登録者が100万人になったら再生回数100万回じゃないと喜べない感覚と似てますね。
もちろん、年を重ねるごとに必要なお金って増えていくからお金の感覚が変わるのは仕方のないことなんだけれど。
YouTubeも登録者が増えると生活に関わってくるからそれも仕方のないことではあるけれど。
ちっぽけな数字で喜べなくなってしまった自分が残念というか。勿体無いなぁと。
あの新鮮さはもう味わえないのかぁと思ってしまう。
もっと含まらせる内容にすればよかった。こっから話を広げる方法が見つかんないや。
おしまい。
女は経験値 ~オードブル~
この世は絶えず、人が死んでは産まれ、絶望し、希望をもち、大志を抱く。
人はそれぞれ思想は違うし、一人ひとり思う所がある。共感出来ること、出来ないこと。分かり合えること、分かり合えないこと。思う所が違えば、好みも違って、不満も違う。
それらを包み隠さずお互いの意見をぶつけた時。そこには何が起こるのだろうか。それは新たな不満?それとも共感?
どちらであっても互いの関係を長続きさせるためには必要なことではないだろうか。
付き合っていたいのなら付き合っていれば良いが、そうじゃないのなら別れれば良いと思うんだ。
1つに囚われ、自分に酔い、人の事を分かった気でいて、本音を隠されていることも知らず。
「人からどう見えてんのか それだけ気にしてる なんて素晴らしい人生だろう」
【sub/objective / ぼくのりりっくのぼうよみ】
1に囚われ、次へと歩き出せず、周りの目を気にして。醜く藻掻いていると思ったら本質を見ようとはしていない。
真実を知ろうとはしない。いや見て見ぬ振りをしている。分かっているのに。もう無理だという事を。
別れは突然に必然に。いつかは大半の人が “思い出の人” になります。すぐに普通の生活に戻れるんです。
普通の生活に戻るのに個人差はあれど、遅くとも半年。でもそれは『人生のたった1%にも満たない』
当時は頭の中にいっぱいだったとしても、人生をものさしで測ったらたった1%にもならない。
言い方を悪くすれば「捨てまくっても次がある」。女なんて経験値なんすよ。次々変えて新しい人に行きましょ、《いつでも捨てれる覚悟と今しか得られない経験値を》
ぼくのりりっくのぼうよみ
ぼくのりりっくのぼうよみ辞職
1月末に行われた【葬式】のタイムシフトをようやく最後まで見終えた。
もう2月の中旬になるのに今まで観ていなかった理由は「ただ観る時間がなかった」とかそういうことではなく。
「ぼくのりりっくのぼうよみが居なくなったことを認めてしまう」ような気がしたから。
自分が行ったLIVEは【通夜】だったけれどセトリは通夜、葬式、前夜祭ともに全て同じ。
遺書(4th)
あなたの手を握ってキスをした(4th)
sub / objective(1st)
CITI(1st)
Black Bird(1st)
二度と来ない朝(4th)
断罪(4th)
人間辞職(4th)
Be Noble(2nd)
在り処(2nd)
liar(2nd)
僕はもういない(4th)
For The Babel(3rd)
blacksanta pt.2(18年Xmas)
祈りを持たない者ども(4th)
輪廻転生(4th)
曙光(4th)
没落(4th)
超克(4th)
カッコの中はどのアルバムに入っているかを示したもの。blacksanta pt.2は3rdの後にリリースされた。
つまり今回のLIVEは4thアルバム「没落」の曲順のまま(輪廻転生だけ後ろにズレた)、間に1st2nd3rdの順で曲を挟んだセトリ。
そもそも4thアルバムは没落をテーマにしていて、前半を没落前、後半を没落後として曲順を並べていたのだから【葬式】もそれに則るというのは自然なのかもしれない。
輪廻転生だけが後ろにズレた理由は輪廻転生から追加された楽器の問題(タイムシフト参照)。
今までやってきた曲たちをおさらいするような【葬式】だった。
2月に入りTwitterアカウントは削除され「https://twitter.com/sigaisen2」はもう居なくなった。
居なくなったとはいえ音楽は永遠に残り続けるし、生活になんの支障もきたさない。
ありがとうぼくのりりっくのぼうよみ。
さようならぼくのりりっくのぼうよみ。